第3章-2:明治時代の外交と帝国主義化
【はじめに】列強に伍する国家を目指して
明治政府は、国内改革と並行して、列強諸国との不平等条約の改正を目指し、積極的な外交政策を展開しました。一方で、日本自身も次第に帝国主義的性格を強め、アジア諸国への進出を進めていきます。この章では、明治時代の外交と日本の帝国主義化の過程を解説します。
【1】不平等条約の改正運動
🔸 岩倉使節団(1871〜73年)
- 岩倉具視を中心に欧米12カ国を歴訪
- 条約改正交渉は成果を上げられなかったが、近代化の必要性を再確認
🔸 条約改正の進展
- 寺島宗則:関税自主権回復を目指すも失敗
- 井上馨:鹿鳴館外交を展開(欧化政策)、批判により辞任
- 青木周蔵・陸奥宗光・小村寿太郎により段階的に成功
🔸 主な成果
- 1894年:日英通商航海条約(陸奥宗光)で領事裁判権撤廃
- 1911年:関税自主権の完全回復(小村寿太郎)
【2】朝鮮問題と清国との対立
🔸 日朝修好条規(1876年)
- 江華島事件を契機に朝鮮を開国させる
- 日本に治外法権を認めさせ、不平等条約を強制
🔸 壬午軍乱・甲申事変
- 朝鮮内の政変と親日政権の短命な樹立
- 清との対立が激化(天津条約で日清両軍の撤退)
【3】日清戦争(1894〜1895年)
🔸 背景と開戦
- 朝鮮における東学党の乱を契機に日清両軍が派兵
- 朝鮮支配をめぐる日本と清国の衝突へ
🔸 主な戦いと勝利
- 黄海海戦・遼東半島・威海衛の戦い
- 日本の近代軍制と兵器が優位を示す
🔸 下関条約(1895年)
- 清は台湾・遼東半島・賠償金を日本に譲渡
- 朝鮮の独立を承認
🔸 三国干渉
- ロシア・ドイツ・フランスが遼東半島の返還を要求
- 日本は不本意ながら譲渡を撤回 → ロシアへの警戒感強まる
【4】日露戦争(1904〜1905年)
🔸 原因
- 朝鮮・満州におけるロシアとの勢力争い
- 義和団事件後のロシア軍の駐留継続
🔸 戦争の展開
- 旅順攻囲戦・奉天会戦・日本海海戦(東郷平八郎)
- 日本海軍がバルチック艦隊を撃破
🔸 ポーツマス条約
- アメリカ大統領ルーズベルトの仲介で講和
- 樺太南部・遼東半島租借権・韓国における優越権を獲得
- 賠償金なし → 国民の不満(日比谷焼打ち事件)
【5】韓国併合と帝国主義の確立
🔸 韓国への支配強化
- 1905年:第二次日韓協約 → 保護国化
- 1907年:韓国皇帝の退位・軍隊解散 → 内政掌握
- 1910年:韓国併合条約 → 朝鮮総督府を設置
🔸 台湾統治と南洋進出
- 台湾総督府による植民地経営(鉄道整備・教育政策)
- 南樺太・南洋諸島の勢力圏化
【6】まとめ:明治外交と帝国化の意義
観点 | 内容 |
---|---|
条約改正 | 不平等条約の段階的解消に成功 |
戦争 | 日清・日露戦争に勝利し国際的地位を確立 |
帝国主義 | 朝鮮・台湾の植民地化とアジア進出 |
外交 | 列強との同盟・交渉による安定化(例:日英同盟) |
明治時代の外交は、日本が「被支配」から「支配者」へと転じる転換点でした。列強に対抗するための国家近代化の一方で、日本はアジアにおける帝国主義国家としての姿勢を強めていきました。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |
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