第2章-12:戦国時代と天下統一
【はじめに】戦乱の世から統一へ
応仁の乱以後、日本は全国各地で戦国大名が群雄割拠する戦国時代(約1467〜1590年)に突入しました。中央政権が機能せず、武士の実力と領国経営が社会を支える時代です。その混乱を収束し、日本を再統一に導いたのが織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のいわゆる「三英傑」でした。
この章では、戦国時代の政治・社会・文化の動きと、天下統一のプロセスを解説します。
【1】戦国大名の登場と領国支配
🔸 戦国大名とは
- 応仁の乱後、守護に代わり実力で支配を確立した領主
- 家臣団を編成し、軍事・政治を統一的に運営
- 分国法(独自の法律)を制定して領国経営を強化
🔸 代表的な戦国大名
- 上杉謙信(越後)、武田信玄(甲斐)、今川義元(駿河)、毛利元就(中国地方)、北条氏康(関東)、島津貴久(薩摩)など
【2】戦国時代の社会と経済
🔸 下剋上の風潮
- 身分に関係なく実力でのし上がる風潮(「成り上がり」の時代)
- 家臣や農民が領主に取って代わる事例も
🔸 一向一揆と宗教勢力
- 浄土真宗(一向宗)の門徒が団結し武装蜂起(加賀一向一揆など)
- 比叡山延暦寺や本願寺など、寺院勢力も地域政権に匹敵する力を持つ
🔸 城下町と経済の発展
- 戦国大名が城を中心に都市を整備(例:小田原、甲府、堺)
- 楽市・楽座政策により商業を保護し、自由な経済活動を促進
【3】織田信長の統一政策
🔸 信長の登場
- 尾張の小大名から台頭、桶狭間の戦い(1560年)で今川義元を討つ
- 足利義昭を将軍に擁立 → その後追放し、実質的な支配者へ
🔸 政策と戦術
- 楽市・楽座の実施 → 商工業の活性化
- 宗教勢力(比叡山・本願寺)との対決 → 武力で制圧
- 鉄砲の戦術的活用(長篠の戦い 1575年)
- 安土城の築城 → 威光の象徴としての城郭
🔸 本能寺の変(1582年)
【4】豊臣秀吉の全国統一
🔸 天下統一への道
- 山崎の戦いで明智光秀を討つ → 信長の後継者に
- 関白に任命され、朝廷と武士の双方を掌握
🔸 政策
- 太閤検地:全国の土地と石高を調査 → 年貢の安定徴収
- 刀狩令:農民から武器を取り上げ、兵農分離を進める
- 兵農分離と一地一作人:土地と農民の結びつきを明確化
🔸 朝鮮出兵(文禄・慶長の役)
- 明征服を狙って朝鮮に出兵(1592・1597年)
- 多くの犠牲を出し、秀吉の死後に撤退
【5】徳川家康と統一の完成
🔸 関ヶ原の戦い(1600年)
- 豊臣政権の後継争い → 家康が石田三成を破り実権掌握
🔸 江戸幕府の成立(1603年)
- 家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開く
- 長期的な安定政権(江戸時代)への基礎を築く
【6】まとめ:戦国時代と統一の意義
観点 |
内容 |
政治 |
実力主義の戦国大名と三英傑による統一国家形成 |
社会 |
農民・商人・宗教勢力などの新たな社会構造 |
経済 |
楽市楽座・城下町の発展による市場経済の浸透 |
軍事 |
鉄砲の普及と大規模常備軍の運用 |
法制 |
検地・刀狩による土地・身分制度の再編 |
戦国時代は混乱の時代であると同時に、日本の近世国家が形成される土壌が整えられた時代でもあります。三英傑の登場によって、長く続いた戦乱は終結し、日本は次の安定の時代「江戸時代」へと移行します。
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個別指導塾
【監修者】 |
宮川涼 |
プロフィール |
早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |
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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。