第1章-4:聖徳太子と飛鳥文化
【はじめに】国家のかたちを整えた聖徳太子
6世紀末から7世紀初頭、日本は飛鳥地方(現在の奈良県)を中心に新たな国家形成期を迎えます。その中心にいたのが、**聖徳太子(厩戸皇子)**です。彼は推古天皇の摂政として活躍し、中央集権的な国家体制を構築しようと多くの制度改革と文化振興を行いました。 聖徳太子の事績と、彼を中心に花開いた仏教文化=飛鳥文化は、日本史上初めて本格的な「国家と宗教」「律令的支配」「国際関係」を意識した時代を築きました。
【1】推古天皇と聖徳太子
🔸 推古天皇(在位:592〜628年)
- 日本初の女性天皇
- 蘇我馬子の後押しで即位
- 聖徳太子(厩戸皇子)を摂政に任命
🔸 聖徳太子(574〜622年)
- 父:用明天皇、母:欽明天皇の皇女
- 仏教を深く信仰し、政治と宗教の両面で改革を進めた
【2】聖徳太子の政治改革
🔸 十七条の憲法(604年)
- 官僚や貴族に対する道徳的規範・政治理念を示した文書
- 内容例:
- 「和を以て貴しとなす」:協調重視
- 「君を君たらしめ、臣を臣たらしむ」:上下関係の秩序
🔸 冠位十二階(603年)
- 家柄ではなく能力と功績によって役職を与える制度
- 紫・青・赤などの色で位を区別し、中央集権体制を進めた
🔸 遣隋使の派遣(607年)
- 小野妹子を隋の煬帝のもとへ派遣
- 国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と記す
- 中国に対して日本の対等外交姿勢を打ち出した
【3】飛鳥文化:日本最初の仏教文化
🔸 飛鳥文化とは
- 7世紀初頭、飛鳥地方を中心に発展した文化
- 仏教+大陸の学問・建築・美術などを融合
🔸 主な寺院と建築
- 法隆寺(奈良県斑鳩):現存最古の木造建築。聖徳太子の創建と伝わる。
- 四天王寺(大阪):外交・教育・救済の拠点としての寺院。
🔸 仏像と美術
- 百済から来た仏師・止利仏師による「釈迦三尊像」(法隆寺)
- 整った顔立ち、アルカイックスマイル(微笑)などが特徴
🔸 書物・学問
- 仏教経典の漢訳・漢籍の導入
- 天文学・暦法・医学などの大陸文化も伝来
【4】聖徳太子の思想とその後の影響
🔸 仏教中心の国家づくり
- 宗教が人々の倫理・統治に役立つと考えた
- 天皇を頂点とした祭政一致の中央集権国家構想
🔸 宋学・儒教との融合
- 十七条憲法には、**儒教的要素(忠・孝・礼)**が色濃く表れる
- 仏教と儒教の調和を図り、官僚政治の基礎を構築
🔸 後世への影響
- 律令制(大宝律令など)の前段階を整備
- 日本の「道徳と制度の二本柱による支配」の原型
- 太子信仰(聖人・仏の化身とみなす)は中世〜近世にも続く
【5】歴史学的視点:聖徳太子の実像とは
🔸 実在性と事績の再検討
- 太子の伝記は『日本書紀』や『上宮聖徳法王伝』など、後世の記録が多く含まれる
- 実際の事績と伝説の区別が困難(「架空の人物」説も一部に)
🔸 近年の研究
- 飛鳥の政治は太子単独ではなく、蘇我氏と連携した合議制とする説
- 「天皇中心史観」に対する見直しの動き
【6】まとめ:飛鳥時代の意義
観点 | 内容 |
---|---|
政治 | 中央集権体制の整備(冠位・憲法) |
外交 | 遣隋使による対等外交と大陸文化の受容 |
文化 | 仏教・建築・美術・儒教の融合 |
宗教 | 国家宗教としての仏教の受容 |
聖徳太子と飛鳥文化は、日本の政治・文化・思想における礎を築いた象徴的存在です。「国のかたち」「政治の倫理」「宗教と国家の関係」といった現代にもつながる重要テーマが、この時代にすでに現れていました。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |
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