第2章-9:鎌倉時代の政治と文化
【はじめに】武士政権の本格始動
鎌倉時代(1185〜1333年)は、日本で初めての本格的な武士政権が成立し、朝廷と幕府の二重権力構造の中で独自の政治と文化が発展した時代です。源頼朝によって開かれた鎌倉幕府は、当初は将軍を中心とした統治体制でしたが、やがて執権北条氏による実質支配へと移行していきます。この章では、鎌倉幕府の制度・対外関係・社会構造・文化・宗教などを多面的に解説します。
【1】幕府の政治制度と将軍の地位
🔸 将軍と御家人の関係
- 将軍(源頼朝以降)が御家人を従えて統治
- 「御恩と奉公」による封建的主従関係が確立
🔸 執権政治の成立
- 源氏の将軍が3代で絶えた後、北条氏が執権として実権を握る(北条時政・義時・泰時など)
- 執権政治:将軍を形式的存在とし、北条氏が幕府を実質支配
🔸 評定衆・引付衆
- 評定衆:幕府の合議制政治を担う評定機関(政務・裁判)
- 引付衆:裁判制度の整備(御成敗式目以後)
【2】御成敗式目と法制度の整備
🔸 御成敗式目(貞永式目)1232年
- 北条泰時によって制定された日本最初の武家法典
- 武士社会における道徳・裁判基準を明文化
- 仏教・道徳・慣習を重視した実務的法律
🔸 意義
- 武士による法の支配の原点
- 朝廷の律令とは異なる、武家独自の司法権の成立
【3】対外関係と元寇
🔸 蒙古襲来(元寇)
- 1274年:文永の役(小規模)
- 1281年:弘安の役(大規模)
- 鎌倉幕府は博多湾に防塁を築いて防衛
🔸 結果と影響
- 元軍は暴風雨などで撤退。日本は辛うじて防衛成功
- 恩賞不足:新たな領地を得られない戦いだったため、御家人の不満が高まる
- 幕府財政悪化、地方統制の緩み → 衰退の原因へ
【4】新しい仏教の誕生
🔸 鎌倉新仏教
宗派 |
開祖 |
主な特徴 |
浄土宗 |
法然 |
念仏を唱えて極楽往生 |
浄土真宗 |
親鸞 |
他力本願による救済 |
時宗 |
一遍 |
踊り念仏・遊行による布教 |
日蓮宗 |
日蓮 |
法華経の信仰、他宗批判 |
臨済宗 |
栄西 |
禅・公案による修行(武士に広まる) |
曹洞宗 |
道元 |
坐禅重視、質素な修行 |
🔸 意義
- 武士や庶民の精神的支えとして広まり、日本仏教の大衆化が進展
【5】鎌倉文化と生活
🔸 武家文化の特徴
- 質素・実直・実用重視の精神
- 和歌・兵法・弓馬・武道の重視
🔸 建築・美術
- 禅宗様(唐様)の建築:円覚寺・建長寺など
- 彫刻:運慶・快慶らによる写実的な仏像(東大寺南大門の金剛力士像など)
🔸 生活と経済
- 農業技術の進展(牛馬耕・二毛作の開始)
- 商業活動の活性化(市・座の発展)
- 貨幣流通の拡大(宋銭)
【6】幕府の衰退と倒幕運動
🔸 御家人の不満と悪党の台頭
- 恩賞不足、借金による困窮
- 地頭が勝手に領地支配、幕府への不信増大
🔸 後醍醐天皇の討幕運動
- 建武の新政を目指し、幕府に対抗
- 楠木正成らが挙兵(1331年・元弘の乱)
- 足利尊氏・新田義貞らの裏切りによって鎌倉幕府は滅亡(1333年)
【7】まとめ:鎌倉時代の意義
観点 |
内容 |
政治 |
武士による政権と執権政治の確立 |
法律 |
御成敗式目による法の支配 |
外交 |
元寇と国防意識の醸成 |
宗教 |
鎌倉新仏教による精神的再構築 |
文化 |
禅・彫刻・武士道精神の形成 |
鎌倉時代は、日本で初めて武士が社会の中心に立った時代であり、政治・法・宗教・文化のあらゆる面において中世的価値観が形成された重要な時代です。
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個別指導塾
【監修者】 |
宮川涼 |
プロフィール |
早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |
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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。